
「用途はわからないけれど、なぜか惹かれる形」
ときどき、そんなものに出会うことがある。
常識に縛られた思考の枠を、ふっとほぐしてくれる存在。
写真の品は、倉敷の古道具店で見つけたもの。
花瓶のようで、けれど本当の用途はわからない。
愛らしい輪郭と、時間をまとった素材の気配に、自然と手が伸びていた。
気になって店主に尋ねると、「なるとの型」だという。
確かにそう言われてみると、どこかで見覚えのあるフォルムだ。
型といえば、工業的な印象が強い。
だがこれは、ギザギザの金属板が丁寧に巻かれ、内部にコンクリートが詰められている。
その重みには、むしろ手仕事のぬくもりが宿っていた。
工業的なミニマルさと、長年のランダムな傷跡が、絶妙なバランスで共存している。
どう使うかを自分で見つけていくこと。
その自由さや楽しさは、どこか建築にも通じている。
かつての姿を想像しながら、その余白ごと暮らしに取り込んでみると、
機能の先にある面白さに、少し近づけるのかもしれない。